それは、今となってはセピア色がかかった、ある夜の記憶だ。
「肩が、イタイ。とてもイタイ」
ベトナム人妻が、眉間に深いしわを寄せて訴えてきた。
彼女の日本語は普段かわいらしいが、この時ばかりは切実な響きを帯びていた。
異国での生活、家事、育児。
それらの重力がすべて彼女の小さな肩に乗っかっているようだった。
私は「はいはい、わかったよ」と、家庭内専属マッサージ師の看板を掲げ、彼女の背後に回る。
触れてみると、そこにはまるでハロン湾の岩山のような硬度があった。
これは手強い。
私は指先に全神経を集中させ、岩を砕く石工のように、コリの核心を探り当てていく。
「あー、そこ。そこがいい」
妻から安堵の吐息が漏れた、その瞬間だった。
「パパ! うたって! ねんねこりん!」
足元から、もうひとつの指令が飛んできた。声の主は、当時、2歳11ヶ月の娘である。
彼女はこの家の絶対的な権力者であり、夜の就寝儀式を取り仕切る小さな独裁者だった。
彼女が言う「ねんねこりん」とは、我が家オリジナルの子守唄のことだ。
「ちょっと待ってね、今ママの肩を……」
「ダメ! 今! ねんねこりん!」
交渉決裂である。
2歳児に「待った」は通用しない。
私は覚悟を決めた。
手は妻の肩甲骨へ。
口は娘の子守唄へ。
「♪ね~んね~こ~りん~、ねんねこりん~」
私は歌いながら、親指に力を込める。
妻の肩を揉むリズムと、子守唄のテンポが微妙にズレる。
スローバラードを歌いながら、アップテンポでドラムを叩いているような妙な感覚だ。
妻は「うう~、効く~」と唸り、娘は私の足にしがみつきながら「もっと! もっと大きな声で!」と煽ってくる。
癒やしを求める妻と、エンターテイメントを求める娘。
ふたりの要求が交差し、私はその中心で、汗だくになりながら指を動かし、喉を震わせていた。
客観的に見れば、それはとても滑稽な光景だっただろう。
薄暗い部屋、響くうなり声と子守唄、そして必死な形相のアラフィフ男。
けれど、そのカオスな喧騒の中に、不思議なほどの幸福感があった。
私の手は妻の痛みを和らげることができ、私の声は娘を安心させることができる。
自分がこの家族にとって「必要な機能」としてフル稼働している実感。
「そんな夜も、悪くないな」
ふと、そう思ったことを覚えている。
娘が眠りに落ち、妻の呼吸が穏やかになった後、静寂の中で飲んだぬるいお茶の味とともに。
あれから時が経ち、娘はもう「ねんねこりん」なんてねだらなくなった。
妻の肩こりは相変わらずだが、あの夜のような、てんてこ舞いの愛おしい時間は、もう戻らない過去の宝物だ。
時折、ふと思い出す。
あの夜の、指先に残る妻の肩の硬さと、耳に残る娘の高い声。
それは私にとって、どんな名画よりも鮮やかな、家族の肖像画なのかもしれない。
石川パパン記事をイメージしたアニメショート動画はこちらです。









コメント