今回、娘が2歳になった時の話をしたい。
日本人の私とベトナム人妻との間に産まれたので日本とベトナムのハーフとなる。
出産はベトナムのベンチェの病院だったのだけど、古くからある病院で、妻、義理のお母さん、義理の妹、姪が無事に産まれた病院だった。
そんな由緒正しい病院で産声を上げた娘も仲間入りしたのだけれど、もうね、子育てってあっという間に過ぎていくなぁとつくづく感じる。
ただ、妻の妊娠中は毎日がとても長く感じた。
だって早く生まれてくる赤ちゃんと会いたいのに、待てど暮らせど赤ちゃんは妻のお腹中だったから。
少しずつ妻のお腹が大きくなり、長時間の外出も控えはじめ、家の中で過ごす日が多くなった。
ベトナムでは日本のアニメが人気で、妻はお腹の赤ちゃんといっしょに『ドラゴンボール』を観ては、あともう少しだけと夜ふかしをしていた。
妊娠が安定期となり、妊婦の妻は適度な運動をした方がいいとお医者さんからアドバイスをもらい、近所をぶらぶら散歩したり、のんびりした日常を過ごした。
妊婦の妻とベトナムのベンチェを散歩している動画はこちらです。
しかし、娘が生まれてからは慌ただしい毎日に変わった。昼夜問わず、娘はお腹が空いたりオムツが気持ち悪かったりしたら泣きはじめる。
夜中に寝ていると娘が泣きはじめて起きることが何度もあった。
幸い、すぐ目の前に住んでいる義理のお母さんが娘の育児の手伝いをしてくれたので、私たち夫婦は育児ノイローゼとは無縁の生活を送ることができた。
子育て一年生の私たちにとって義理のお母さんの存在は大きかったです。
産後うつにならなかったのは、義理のお母さんのおかげです。
生後3ケ月から日本生活と嫁姑問題、婿姑問題について
ベトナム生活を経て、娘が生後3カ月の頃、日本で生活することになった。
生後3カ月の娘を連れて飛行機に乗った動画はこちらです。
日本での生活は私の両親との同居生活となった。
私の両親にとって娘は初孫だったのもあり、可愛くてしかたなかったみたいだ。
どこの国でも嫁姑問題はつきもの。
当然、私たち家族の間にも大なり小なり嫁姑問題があった。
時には家族会議に発展し、とことんまでやり合うこともあった(詳しいことはいずれ書きたいが、大丈夫かしら)。
嫁姑問題は国籍問わず、いろいろとあるのだと思う。
私はベトナム生活中、妻のお母さんと姪と半同居みたいな生活をしていたけど、特に婿姑問題に悩まされることありませんでした。
それを聞いた妻は、「そもそもあなたはベトナム語できないから、私のお母さんとケンカになんてならないでしょ!」と笑っていましたね。
幸い、妻は産後うつ病なることはなかった。
また、ベトナムや日本での生活中、お互いの親が近くにいる、もしくは同居している状態だったのもあり、娘の育児の手助けをしてもらえたのがよかったのだろう。
また、夫婦で協力して育児をしていた。
これが妻だったり、私のみが娘の面倒を見るワンオペ育児体制だったら、どちらかが遅かれ早かれ疲弊していたのではないかと感じている。
子供の子育ては仕事のように定時で終わることはない。
子育て残業なんて当たり前。
もうね、24時間営業なんだよ。
深夜だろうと早朝だろうと娘は泣く。
眠たい目をこすりながら、娘にミルクを与えたり、オムツ交換もしなければいけない。
でもね、娘が私たちに向って笑顔を向ける。
笑い声をだす。
「あー」とか「いー」と言う。
それだけで、何かもう大変なことが喜びに変わる瞬間があった。
ベトナム生活中は日光浴ぽいことをよくしていた!?
ベトナム生活中は、どこへ行くにもバイクで移動していたのもあり、肌がだんだん黒っぽくなっていった。
振り返れば、太陽の光を浴びることで私自身、うつ病予防に繋がっていたのかもしれない。
朝、太陽の光を浴びると脳内にセロトニンが分泌される。
うつ病は、セロトニン不足でも起こると言われているからだ。
ただし、ベトナムの紫外線は日本よりも強い。
紫外線対策もしないといけない。
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