高校時代、相撲部のマネージャーにひょんなことからなってしまった私は、毎日が充実していた。
相撲部員の数が3名でマネージャーが1名、部員全員が同じ学年、同じクラスだったというのはなかなかない。
先輩がいないから上下関係はないし、部員は気心の知れているクラスメイトで仲のいい友達だったので、楽しい部活動が送れた。
監督の新巻先輩は社会人だったので、部活が終わった後、よくご飯をご馳走してくれた。
宇田川は腹が減っていたせいか、うまそうにご飯を食べている。
山本は礼儀正しく「ごっちゃんです」とお辞儀をし、ゆっくり味わうように食べている。
花井はグルメ評論家のようにむしゃむしゃと食べ、私はしゃべるのに夢中でご飯がなかなか喉に通らない。
新巻先輩は「いっぱい食べろ」とせかしながらも優しい笑みを浮かべていた。
相撲部のマネージャーが相撲稽古に初めて参加した
そんな私もマネージャーの分際で短パンになって相撲の稽古に参加したこともあった。
新巻先輩は私に手加減して相手をしてくれたのだが、私は力いっぱい思いっきり新巻先輩に体当たりをする。
まわしをとって投げようとしてもびくともしない。改めて相撲は、全身の筋肉を使うと感じた。
私はすぐにバテテしまい、自ら土俵の外に出てしまった。
全くもって勝負を勝負と思っていない男だった。
続いて山本と宇田川が相撲の稽古をする。
宇田川は見事に山本に投げ飛ばされてしまった。
悔しがった宇田川は、山本に猫だましという平手でパチンと大きな音を山本の顔の目の前にする。
山本が目をつぶってひるんだうちに、思いっきり体当たりをするという卑怯な手を使っていた。
花井は私たちの中ではナンバーワンの体重を誇るので、ダイナミックな相撲をするかと思いきや、新巻先輩との稽古中にすぐに息がきれてしまい、あえなくダウンしてしまう。
実質的に相撲では山本が1番強かっただろう
しかし、私たちにとって誰が一番強いとか関係なかった。
部活が終わった後に、みんなでシャワーを浴びる。
男同士の付き合いに妙な友情を感じたのだ。
相撲部の規律を守ってくれた先輩に感謝
見るもの感じるもの触れるもの全てが青春だった。
周りから見れば単なる変な奴らに見えたかもしれないし「何で相撲をあいつらはやっているんだ?」と不思議がられただろう。
何せ、相撲をやるような体格じゃない私と宇多川も混じってるのだから。
高校に寝袋を持ち歩き、外でも体育館履きで歩きまわる宇田川も面白い男で、相撲部の中で競い合うように面白いことを言いあった。
そんな中で格好の標的になったのは、力は強いが気は優しい山本である。
山本はとぼけた男で、カラオケに1人で行き、演歌を歌う男だった。
理由は知らないが、ひとりだけ学区外から高校に通い、昔の日本の男尊女卑を崇拝する時代錯誤な奴だった。
私と宇田川はダブル攻撃で山本にちょっかいを出す。
「学区外の高校に通っているのは、学区内の高校だと山本の怪しさで、どこの高校も受け入れてくれないから、誰も山本のことを知らない学区外の高校を選んだ」とか、
「ひとりでカラオケに行っているのは、将来演歌歌手を目指し、特訓をしているからだ」とか、
いじり倒したら怒った山本に追いかけられ、制服のまま投げ飛ばされる日もあった。
それを花井は見て笑っていたし、新巻先輩も笑いながら「ふざけていないでそろそろ練習するぞ」とストッパーの役割をしてくれて、相撲部の規律を守っていた。
今考えてみると、こうして自由にふざけてもいい環境を作ってくれた新巻先輩には感謝しなければいけない。
ふざける時間も与えるけど、練習するときは、きっちりとメリハリをつけ、私たちの相撲部を指導してくれた。
それは新巻先輩の懐の広さであり、怒ることだけでなく、和気あいあいとできる環境を作ってくれたことは、何事にも変えることのできない、相撲部員だった私たちの貴重な財産になったと思う。
初めての野宿体験
いつも通りに練習が終わり、みんなは帰る準備をはじめる。
辺りはもう暗くなり、季節はそろそろ夏になろうとしていた頃で、外にいたら暑くてしかたない状態だった。
ふいに宇田川が私に話しかけてきた。
「石川、この後、俺に付き合ってよ」
「どうしたんだ宇田川?」
「いいから付き合ってくれよ、どうせまだ帰らなくてもいいだろ?」
「まぁ、大丈夫だけど……」
「じゃあ、決まりだ」
「ずいぶんと強引だな、そのパワーを恋愛で使ってくれよ」
「うるさいよ! とにかく付き合えって……」
「分かったよ」
私と宇田川は自転車に乗り込み夜道を走り出した。
夜道を自転車のライトをつけ、2人は自転車のペダルをこぎ出す。
下り坂ではジェットコースターが降りるようにスピードを出し、上り坂では途中で自転車から降りずに自力で力いっぱいにペダルをこぐ。
私たちの進む道は、坂が多いので自転車で進むのも一苦労だった。
地元のデパートに自転車をとめ、地下売り場に2人は行き、買いもしないのに宇田川の提案で試食コーナーを食べ歩く。
私は宇田川がうまそうに試食している姿を見て話しかける。
「宇田川はいつも試食コーナーで食べたりしているのか?」
「そうだよ、試食するぶんには無料だからな」
「じゃあ、今度ご飯だけ買って試食してまわればいいじゃん?」
「嫌だよ、そこまではさすがにできないよ」
「宇田川ならできると思うけどなぁ」
「そういう石川はできるのか?」
「できるわけないだろ!」
そんな会話のやり取りをしながら試食コーナーを総なめにし、地下売り場のこぢんまりとした食べ物屋のテーブルの椅子に座り、そこで安い値段のラーメンを2人は注文した。
決して豪勢な食事はできないけれど、2人で会話しながらの楽しい空間を味わうことができる。
買う気はないのに試食コーナーを食べ歩くのが、とても楽しかったのだ。
食事はいくら豪勢であったとしても、ひとりで食べるのは寂しく味気ないものになってしまう。
しかし、美味しいとはいえないものでも、ひとりではなく、2人で楽しく食べることができれば、それが何よりのスパイスになり、食事は美味しくなるものなのだ。
テーブルで向かいあわせになり注文したラーメンを楽しみに待つ。
コップに私と宇田川のぶんの水を入れてきてテーブルに置く。
その水は普通の水道の水みたいで、何だか薬臭い味がしてまずかった。
私は宇田川に話しかける。
「どうせ暇だから、また私に付き合えと言ったんだろ?」
「まぁ、そうだけど……、石川、今日俺と野宿しないか?」
「野宿! 本当に?」
「ああ、そうだよ、野宿でもしながらいろいろ話そうぜ!」
「野宿かぁ、虫とか夜に出そうで怖いなぁ」
「やわなこと言うんじゃねーよ。なぁ、野宿しようぜ?」
「うーん、分かったよ」
「よっしゃー決まりだ!」
注文したラーメンができあがり、私たちはラーメンをとりに行った。
値段が安い分、全てがセルフサービスであったが、値段が安いというのは貴重だった。
高校1年生が大金を持っているはずがない。育ち盛りの私たちは会話もそっちのけで、むしゃぶりつくようにラーメンの麺をすする。
周りに客がいなかったせいか、麺をすする音がズルズルと店内を鳴り響いているように感じた。
食べ物に関していえば、食べられるだけでもありがたいという気持ちがある。
私はどうやらグルメではないらしく、この日のラーメンは野宿する興奮も重なって、ラーメンの汁も全部飲んでしまうほど、格別に美味しかった。
満腹感に満足していると、デパートの閉店のアナウンスが流れ出す。
私は冗談で宇田川に言う。
「デパートのトイレに忍び込んで潜んでいて、閉店後のデパートの中で野宿するのってよくないか?」
「バカ言うなよ! そんなことしたら警備員に捕まるよ」
「たしかにな、実際、宇田川はで高校で野宿していたら、『警備員に何している!』と怒られたもんな」
「そうだよ、あのときはびっくりしたよ。石川、閉店だから行こうぜ!」
「うん」
私たちはデパートを出た。辺りはもう真っ暗な闇に襲われ、空には奇麗な星たちが輝きはじめていた。
デパートから私の家まで近かったので、いったん私の自宅に向かうことにした。
私は宇田川に「外で待っていて」と言い、当時、マンションの3階に住んでいたので、急いで階段を駆け上がり、ドアを開けて自分の部屋からレジャーシートを取りだし、すぐに家を飛びだし階段を降りて行く。
母親は家に帰ってきて、すぐに出ていく私をきょとんとした顔で見ていた。
私はいちいちどこにでかけるとか言わないタイプだったので、結構だまってでかけることが多かった。
当然、いつものように何も言わずにでて行ったのだが、まさか私が野宿をするために、レジャーシートを取りに帰ったとは思いもしなかっただろう。
自分が体験したことのないことを体験するって、とても興奮するし面白い。
小学生の頃、マンションの地下へ続くマンホールの穴に、友達と入って探検したことがあった。
中は薄暗く、発砲シチロールがゴロゴロと転がっており、散乱した釘が転がっていて危険な場所だった。
ライターに火をつけて、その明かりを頼りに歩きまわったのだが、タケノコのようにとんがった釘を私は間違って踏んでしまい、靴の底が貫通して足にささったことがある。
今考えると決して入ってはいけない場所だったが、私にとっては好奇心の方が上回っていたようで、何とも言えないスリルを味わった経験がある。
野宿するのなら、レジャーシートぐらいあれば便利だろう。そう思った私の判断は正解だったようで、寝床を自転車に乗って探しまわると、車があまり通らない道の横に、縦長の人工的に作られた野原があった。
その野原は、私の家から歩いて7分ぐらいのところで、何かあったら宇田川を家に泊めればいいと考えていた。
私は好奇心旺盛だが、それと反比例するぐらい用心深い男である。
私は宇田川に「ここで野宿をしよう」と提案し、宇田川は「うん」とうなずき、ここで野宿をすることになった。
私は寝る前に歯を磨かないと寝ることのできない神経質だったので、コンビニで歯ブラシと烏龍茶を買い、烏龍茶で口をゆすぎながら歯を磨き、野原の道路の脇に吐き出す。
宇田川は「一日ぐらい歯を磨かなくても大丈夫だよ」と言っていたが、私は構わずに口の中が歯磨き粉だらけになった口をもぐもぐさせながら、烏龍茶を口に含んでは吐き出していた。
宇田川は道路に吐き出す私の姿を見てゲラゲラと笑っている。
たしかに笑われてもしかたない。烏龍茶片手に道路の脇で歯を磨いている奴なんて、なかなかいないだろうし、喉に歯磨き粉が入ってしまい、「うぇー」と変な声をだしてしまい、それがおかしかったのだろう。
レジャーシートを野原に敷いて、私と宇田川はレジャーシートに大の字にになって寝転ぶ。
夜空にはたくさんの星が光り輝き、その星たちに見られているような気分になる。
寝る時はいつも部屋の天井を見上げていたのに、今は広大な星空を見上げている。
レジャーシートに寝転んで星空を眺めていると、何もかも素直に話せそうな気がする。
ただ星空を眺めていた。2人の間にどこからともなく無言の空気が流れる。
その無言の空気は、やがて嵐のような情熱の嵐が吹き荒れる。
私は宇田川に語りかけた。
「2人で野宿するなんてはじめてだよな」
「そうだな」
「夜空を見上げると、たくさんの星たちが光り輝いている。その中には、輝く星もあれば暗い星もある」
「石川、突然語りだしてどうしたんだ?」
「いやね。私と宇田川は、同じクラスになって縁があったからこそ、今こうして2人いっしょにいる。そう思ったら無性に語りたい気分になった。それだけだ」
「そうか、今日は野宿に付き合ってくれてありがとう」
「なーに気にするなよ。どーせ夜は長いんだから、いろいろ話そう」
「そうだな、何だかいい夜になりそうだよ」
「なぁ、宇田川は将来何がしたいんだ?」
「俺か? そうだなぁ、佐野量子さんと結婚したい」
「おい、現実を見つめろよ。佐野量子さんはアイドルだぞ! 今の話は本気で言っているのか?」
「ああ、本気だ」
宇田川は冗談なのか本気なのか分からないが、そんなことを言っている。
暗闇の時間はどんどんと過ぎていく。
レジャーシートの道路の脇に一台のパトカーがとまり、警官が私たちに近づいてくる。
野宿していたら警察官から尋問された
私と宇田川は何だか嫌な予感がしたのだが、その予感は的中し、警官に話しかけられる。
「君たち、こんな夜中にここで何している?」
レジャーシートに寝そべっていた学生服姿の私たちに、警官が尋問するのは必然的なことだった。
どう考えても、こんな真夜中にレジャーシートをしいて寝そべっていたら、警官の脳裏に家出少年2人組と浮かんだとしてもしかたがなかっただろう。
こういう時こそ、へたにあせった表情を見せてしまったら、そのままパトカーに乗せられて、詳しい尋問を受ける可能性がある。
何事も平静を装い、私たちは何も悪いことはしていないという態度を堂々と見せなければならない。
ポーカーで自分の持ち手しだいで表情が変わってしまう奴は、確実に負ける。
ここで私たちの表情が変わってしまえば、警官は確実にこの2人組を怪しいと思い、さらなる尋問攻撃が待っているだろう。
私と宇田川はお互いに顔を見合わせる。私は宇田川に目配せをし、私に任せろと伝えた。
私は警官の尋問に答える。
「私たち天文部で、今日は星が奇麗なので観測しているんですよ。星を見ていると私たちの心はとても和やかになります。これが田舎の空だったら、もっと奇麗だと思うんですけどね」
「君たち天文部なのか、まぁ、気をつけて観測するように」
「はい、わざわざ心配してくださって、ありがとうございます」
警官は私たちが天文部だと思い込んだようで、これ以上、何の尋問もなく、スタスタとパトカーに戻っていった。
警官の後姿を見送りながら、私はガッツポーズをした。
しかし、すぐにパトカーがいなくなると思っていたのだが、なかなかいなくならない。
私は宇田川に小声で話しかける。
「何か警官、私たちのこと疑っているんじゃないか?」
「何かそれっぽいな」
「こうなったらやけくそだ。天文部になりきって、星を指差して何かしゃべっているふりでもするか?」
「そうだな、どうせ尋問を受ける時は受けるんだ。ここで逃げたら逆に怪しまれるからな」
私と宇田川は星を指差し、しゃべっているふりをする。
流れ星など流れていないにもかわらず、アドリブで、「あっ! 流れ星」と感激した声をだしてバカみたいに笑いあって、喜こぶ演技をした。
様子をうかがっている警官は、確実にパトカーについているバックミラーで、私たちの様子をうかがっているはずである。
演技は続行中だが、パトカーはピクリとも動かない。
何だかヘビに睨まれたカエル状態になってしまった。
こんなピンチの時こそ、神風が吹けば私たちのピンチは切り抜けることができるだろう。
しかし、現実はドラマのように都合のいい展開などありはしない。
いいかげん天文部を演じる自分たちに疲れてきた。
と、その時、遠くの道路からけたたましい騒音が鳴り響く。
騒音はどんどん私たちのいる道路に近づいてきた。暴走族が神風という旗を振りながらやってきたのである。
私たちにとっては、暴走族がまさに神風だった。パトカーはサイレンの音を鳴り響かせ暴走族を追いかけはじめ、私たちのいるところから消えていった。
暴走族も追いかけてくるパトカーから逃走し、あっという間にいなくなる。
どうやら私たちに神風が吹いたらしい。
それは暴走族が振っていた神風と書かれた旗だったということも信じられないような光景であった。
私たちは安心し、レジャーシートに大の字になり眠りについた。