ベトナムの病院の個室で私は1人で待機していた。
ベトナム人妻は帝王切開で赤ちゃんを産むことになっていたので大丈夫だろうかと心配していた。
ただ、時間が過ぎていくのを待つ。
時計の針の1分1秒がとても長く感じられて、何かもうこのまま1人でどうなっちゃうんだろうなぁ。
異国の地だったこともあり、妙に不安な気持ちで待っていたのを覚えている。
個室の近くの廊下が次第に騒がしくなり、ドアがトントンと叩く音が聞こえた。
ベッドで寝そべっていた私はすぐさま起き上がる。
急いでドアを開けると目の前には赤ちゃんを運ぶための台車にいる生まれたばかりの赤ちゃんと義理のお母さんたちがいた。
私にとって第一子の娘と初対面の瞬間。
私は娘の顔を確認すると、すぐに個室の中に入り青いバックを取りに戻った。
その様子を見た義理のお母さんたちは、青いバックの中によっぽど大切な大金などが入ってるんじゃないかと面白くてしかたなかったそうだ。
一方、私の事情は、青いバックの中からアクションカメラを取り出し、産まれたばかりの娘を撮影したかっただけ。
アクションカメラを取り行ったおかげで撮影することができた。
娘と初対面した私のYouTube動画はこちら。
余談になるのだけれど、私がベトナムで借りていた家の中に蜂が入ってきたことがあった。
慌てて外に飛び出した私は、目と鼻の先にある義理のおばあさんの家に行き、「大変だぁ、大変だぁ!蜂が家の中に入ってきた」と大騒ぎした。
その様子を見ていた妻の親戚たちは、指をさして大笑い。
ベトナム人たちからしてみたら、たかが蜂ぐらいで大げさに驚く変な日本人だと思ったみたいだ(笑)
国によって、相手の行動の捉え方や感じ方が違うのだ。
話を元に戻すのだけれど、赤ちゃんとご対面した私は、やけに娘の顔は赤いなぁ、どうしたんだろう? なんて思った。
親としての実感なのかどうかは分からないのだけれど、娘が力強く「おぎゃー、おぎゃー」と泣いている姿を見ていると、必死に生きようとする生命力みたいなものをひしひしと感じることができて私の目頭も熱くなった。
ただ、親としての自覚はぼんやりとしていて、急に家族が増えた不思議な感じだった。
ベトナムでの娘の子育ては妻と義理のお母さん中心で行われた。
私は娘のオムツを取り替える時、娘の両足を優しく持って、妻がオムツの取り替えをしやすいようにしたり、まだ妻の母乳が出なかったので粉ミルクを作ったり、幼児用のお風呂のバスにぬるま湯を入れて体を洗うための準備をしたり、主に雑用みたいなことをしていた。
私がやっている事は、妻や義理のお母さんと比べると育児の仕事量は少なかっただろう。
妻や義理のお母さんの赤ちゃんの育児を見ていて感じたのは、子育てって大変なんだなぁ。
子供を持つ親ってこういうことなのかぁ。
少しずつ父親として、子育ての自覚を持ち始めた時期だったと思う。
月日とともに娘は成長していく。
娘にいないないばぁをすると笑うようになり、喜怒哀楽の意思表示をするようになった。
ハイハイをし始めたかと思ったら、自らの力でつかまり立ちをし、ついには立ち上がり歩きまわるようにもなった。
「パパ、パパ」と言うようにもなった。
娘は私のところに駆け寄って甘えるように抱きつくようにもなった。
本当に少しずつ、少しずつなのだけれど、日々、娘と一緒に過ごしていくことで、私は娘の父親なんだなぁと実感する毎日を送っている。
娘よ! 私たちの所へ生まれてきてくれてありがとう。
娘の育児を手伝うという表現は、妻からしたらおこがましいと思われるかもしれない。
親として一緒に協力し合い、子育てをする感じかな。
妻は娘のことであれやってこれやってと私に言ってくる。
それは娘の事だからいいのだけれど、「喉渇いたから水持ってきて」と言ってくるようにもなった。
妻は疲れているのだから、私はなるべく水を持っていくようにしているのだけれど、妻はどこで覚えたのか私に対して「あなたは私のおしんだから」とニタニタしながら言うのだった。
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